Deep Learningを用いたデザインAIの作成と検証

Deep Learning を用いた デザイン AI の作成と検証 -街並みと建築物外観の画像生成を対象に-」を日本建築学会計画系論文集に採用して頂きました。
掲載予定号は「日本建築学会 計画系論文集,第85巻,第770号」です。

コルビジェネレーター(学習・生成・演算)の試行の続編であり,ジェネレーティブ デザイン AI その2の一部であり,研究VISIONへのプロセスです。
Deep Learning を用いた印象評価推定 AI の作成と検証」に続く掲載で,とても嬉しいです。

今回の掲載内容の一部はメディアでも少し取り上げて頂き,それにより反応が貰えてとても嬉しく思っています。
加えて,この試行がこのタイミングで半永久的に残存する学術論文という集合知の仲間になれることになりました。
研究室メンバー・僕の興味関心の視点からではありますが,建築学会で芽吹いた 建築情報学 という希望の集合知の一部になれたことが嬉しいです。
萌芽的な研究に前向きに査読して頂きありがとうございました。

最終校正前ですが内容の大きな変更は予定しておりませんので少しでも多くの人に見て頂き,できればご反応を賜りたく,ここに謹んで原稿,そして雑記を下記に紹介させて頂きます!

余談ですが,論文の目的は引用・参照して貰うこと,にも関わらず日本語の論文誌への投稿を続けるにはそれなりの葛藤があります。
この論文誌はインデックス化も不十分なことから大学における評価という意味でもそうです(お願いだから建築学会のエライ人頑張って,,,)
それでも,先人達が残した日本の建築ブランド,文化・歴史を考えると,日本人が空間に纏わることで何か求めた時に応える存在として建築学会の集合知は大切にしなければならず,またそのようにしなくては気がしています,何となくですが。
(もう時すでに遅しではない,変革の時代だからこそ力を発揮できる,と願っている)


この研究に取り組んでいる大野耕太郎くん,池之上慎吾くんのうち,池之上くんが下記の卒業論文を提出して立派に学士を修めました!(2019/03/02追記)


論文には書きづらいことを書き残します。
(直接的に関係しないので書きづらい,という意味です)

「説明可能性を超えたい」

この研究はまだ始まりで,この研究には,新たなデザイン,新たなデザインプロセス,新たなデザイナーの職域を拓きえる未知の萌芽性がある思っています。
今後の研究では,デザイン対象の多様化は勿論,AIとの対話的コミュニケーションによるデザイン生成,3次元データの生成を予定しています。

という論文の「まとめと課題」らしきことをではありません。
研究のVISIONについてはここに始めた時に書き残した時とほぼ同じです。
研究室WEBという自由さを活かして書き残したいのはフンワリ感じている印象についてです。

少しカッコよく表現すれば根源的・哲学的な課題です。
抽象度高く表現すれば,「シンギュラリティは既に起きているかもしれない,人が気付いていないだけかもしれない」ということです。
ヒューマンイズボトルネック」という言葉にも近いと思います。
逆に僕の研究に置き換え具体的に表現すれば,
例えAIが優れたデザインを生成できたとしても,特に社会的責任を強く担う建築設計の場合,それを人が説明出来なければそれは成されづらい」
という課題です。

Deep Learning の真価は,入力の特徴量や出力との因果関係のプリセットが学習しようとする両者の複雑な関係性に比して極めて少ない,という性質です。
同時に弱点は,Deep Learning によって獲得された因果関係の理解が困難であるという性質です。

そのため,説明可能であることを必須とすると,Deep Learning の真価を発揮しづらい
つまり,Deep Learning を駆使しても人が用意または理解可能な特徴量・因果関係から産み出されるデザイン可能帯を超えづらい。
すなわち,例え Deep Learning が人のデザイン認知を超えたとしても人がそれを理解・説明するまで陽の目をみない。
ということです。

「AI によって拓かれる デザイン があるならば」

ただ素朴に振り返ると,
デザイン に対する心理評価は不確実で曖昧な現象である。
そのため,ある瞬間において人は デザイン に対する評価を真に理解・出力できていないかもしれない。
つまり,人は人おろか自分の嗜好も正しく認識,因果おろか結果さえも表現できていないかもしれない
と考えることもできます。
上手く言語化できれないけれどなんか好き,ということもしばしばあるのではないでしょうか。

人による説明可能性は本当に必須なのでしょうか?
説明責任といってもいいかもしれません,いつからでしょうか。
果たして,先人達のデザインは,その瞬間においてどれほど説明可能で,エビデンスベースだったのでしょうか。
(デザインの表現次元を現実とすることに拘っていないのはこの意味でもあります)

ただ当然ながら  AI  に任せて行為そのものを放棄するのも違うように思います。
では共創でしょうか?
因果関係モデルに感性を学習した AI を組み込んでそんなデザインを産み出す,
すなわち,人が用意した満たすべき条件を満たした上で,説明できないけれど多数の人が直感的に好き,そんなデザインを産み出す
そうすればこの課題は解決できるのかもしれませんが,そうでもないような気もします。

正直,どうすればよいのか分かりませんが, AI 研究は, AI と人はどう向き合うのか,人とは何か,という問いへの思考でもあります。

AI によって可能になる「新たなデザイン」があるとするならば,それが見えてくるのはこの問いに対する姿勢が少しでも見えてきた時と思います。

話しが逸れて聞こえるかもしれませんが,この問いへの思考は,
説明可能性に規定されてしまっている未知の建築設計の可能性があるなれば, AI (などの 建築情報学 )を使って建築設計の可能性を拡張する契機を作りたい
という挑戦でもあります。だいぶ大それたことですが(笑)


以上です。

AI以外にも,情報シンポ2019で発表したようなご紹介したい研究が他にもあります。
先行しているAIに関するコンテンツが研究室WEBのAcademicに多いですが。
他の研究も研究室WEBで紹介>メディアでも紹介>学術論文誌に掲載>建築都市の未来にちょっぴり貢献,という流れにできたと思っています。

ところで,このコンテンツ,実が書いているのが紅白歌合戦の真っ最中(まもなくけん玉)!
まもなく新年,新しく来てくれる研究室メンバーも加わり,いっそう楽しく頑張りたいと思います!