デザインするAI試行中の雑感

研究の最中って自分の研究をメタ的にとらえるのって難しくありませんか?
僕は苦手です。
たまにそれに気が付けるのですが,またメタ的視点が薄れていきます。

という事にとある研究会で貰ったコメントを契機に気が付き,研究に対するメタ認知に思考を巡らしました。
この投稿はそのツイートを整理したものです。自分用の研究ノートみたいですが投稿します。

せっかくテキスト化したしちょうどいい更新ネタなので

建築情報学での活動目的

  • 「人と建築都市デザインの拡張と高度化」
  • 「既往の概念の価値の再発見・再定義」

です。前者の想いの方がで強いですが。
という想いの中で見よう見まねで建築都市デザイン分野におけるAIを試行していて,後者に関わる「AIについて感じていること」がモヤモヤ散逸的ですがいくつかあります。要するに苦労している+これからも苦労しそうなことな訳ですが。
それは,

  • AIは生成したデザインをプレゼンしてくれない。

  • AIというデザインプロセスからは「汗」「魂」「コンセプト」が想起しづらい

  • 人間(自分)のことは人間(自分)自身が分かっているという前提の壁

  • 「建築電脳戦」がしたい

です。以下に個別に書きます。


AIは生成したデザインをプレゼンしてくれない。

教えてくれるのはロスが小さいことだけです。あとは教えてくれません。
AIはただの視覚情報を無機的に提示してくれるだけで,何故そのデザインが優れているのか,意味やストーリを付加してくれません

一方で建築家はプレゼンしてくれます
良くも悪くも扇動家のような巧みさで。実はこれがけっこう大きな違いだと思っています。

デザイン力が同じでも評価はプレゼンによって事実として違います。
デザインに限らずは人の評価において「評価は理解度と相関する部分がある」ためです。
もっと言えば「プレゼンにはデザイン内容と同等のインパクト」があるかもしれません。
さらに極論すれば「デザイン評価は理解の延長に過ぎない」ということです。
この観点から建築学科では「プレゼンが大事,プレゼンが大事」と強調します。また建築学科卒業生の強みとして教育目的にもなります。
ただ,内容ではなくプレゼン力が評価されるということに納得できない学生さんがいることを勘案すればAIと関係なくとも「残念ながら」という表現になるかもしれません。僕も疑問を感じることがあります。

つまり,
「これからある建築家が創造する評価の高いデザインをAIが先回りしてデザイン可能だとしても,建築家という人間による創造とプレゼンをただの人は待つことになるかもしれない」
ということです。

この意味で今のAIは人に脅威というよりも「不親切で人に優しくない」と言えます。
分かる人に分かればいい,そんなスタンスでデザインする建築家のようです。(ちょっと憧れちゃう部分もありますね)

だったらと,理解できるような,理解を説明してくれるようなAIを作りたいかと言えば,それは違います。
AIに限りませんが,建築情報学で人と建築都市デザインの拡張と高度化を探求したい,というのが想いです。それが何かも分かりませんが。

 


がデザインしていないというデザインプロセスからは「汗」「魂」「コンセプト」を想起しづらい

同じようなことですが,例えば演奏です。
プログラミングされたロボットの高度な演奏と人の演奏では,感動の種類だけでなく「感動の度合い」が違いますね。

自分とほぼ同じような人間が膨大な修練を得て披露している
自分とほぼ同じような人間が行っている自分には到底できない演奏,
というように「感動の度合いにはプロセスが前提にある」ということです。

舞台演者の演劇でのスポーツ演技とアスリートの競技,どちらも修練を経ているけど,想起できる汗の量が違います。そのためどちらも素晴らしいですが感動を共有可能な範囲の広さが違います。
「コンセプト・真摯さ・懸命さ,もそうです。
プレゼンしてくれないに近いのですが「AIがデザインしたというプロセスが,デザインから信念・意図・願い,それこそコンセプトを奪いとっている」気がします。
AIと心,のようにAIが生成したデザインにコンセプトを与えるにはどうしたらよいのか,,,これを逆手にとるという視点もありますが。

 


自分のこと,自分のデザイン志向を表出レベルの認知で評価できている,という前提の壁

やっぱりプレゼンしてくれないに近いのですが,人は自分のことを,自分が志向するデザインを自分が理解できている,ある瞬間で普遍的に評価できている,という前提が一般的なことも気になっています。
デザインするときにはスタディという自己探求に時間を費やしますね。
「なぜ評価においては一瞬や数回のサンプリング程度で自己探求ができているという認識が共有されているのでしょうか。」

有名な例だとうつ度合いは自分では分かりません。
好き・嫌い・愛している,もでしょうか
少し変な例えですが似ていると思います。
好き・嫌い・愛している,は分かるのかもしれませんね,でもある時に気が付くとか言いますね。(異化作用か?)

今の所,AIが生成したデザインを人がジャッジ・選択する流れ(を装っている?)ですが,
「ある瞬間の判断のサンプリングでデザインに対する自分の感性を評価できているかなんて分からない」ということです。

因子を形成するような多項目質問でも頑健性に対する疑問という意味では同じです。
確かにある瞬間においては真値だと思うのですが,心理値ですのでその真値が普遍的であるかには疑問の余地があります。。
それこそ頻度主義のよう定まった真値ではなく,ベイズ的に分布する真値であるかもしれません。

そのため,学術研究では結果の適用可能範囲があります。過大解釈されて一般メディアで紹介されたり,すっ飛ばされていることもあります。これと似ている気がします。
一時のデザインレビューの適用可能範囲がとてつもなく広く,優位性が強すぎるという違和感です。

つまり,
サンプリングが重ねて真値の判断や真値に基づくデザインを生成しても,
ある瞬間や数回のサンプリング程度の人間の評価が優位で,その人のデザインに対する評価がそれでジャッジされるタ構造はなんか変

ただ,ある人の感性をその人以上に推定するAIは作れたとしても,人はそれに気が付けませんし,認めるのも難しい気もします
でも医学では出来ていますね,エビデンスと権威なのか,どうすればいいのか。。。
「新しいデインを生成するAI,人を超えたデザインAIを実現するために,如何にしてその瞬間に気が付くのか」という問題についても思考というか,挑戦しなければいけません。


「建築電脳戦」がしたい

上のようなことは以前から漠然と感じており,「建築都市デザインにおける人とAIの対戦」をずっとやりたいと思っています。
囲碁・将棋で人とAIが対戦してAI普及の契機になったアレの建築デザイン版です。勝敗はネット投票で決めるなどで。
単純に面白そうですし,建築情報学の普及にも少しは役立つ気がしているからです。
今のデザインAIの試行もこれの準備と言えばそうです。
人とAIはアウトプット手段が異なり,それが評価にインパクトがありそうなのでどうしようかな,悩んでいたのですが,これを解決できるかもしれない技術をクラウドファンディングで入手しましたのです!。
早くテストして実行可能性を探りたいなー,と思っています。

「建築都市デザインにおける人とAIの対戦」なんか楽しそうじゃありませんか?


以上です。


あ,ちなみにとある研究会でのコメント,色々頂いたのですが,ドッキリして思考の刺激になったというか,始まりの契機になったのは,
「お気に入りのデザインと評された画像はなんでお気に入りなんですか?言語化できますか?」
でした。
「どどどど,どうしよう,分かりません」
と,その場ではとこれ以上ないくらい折角投げて貰ったボールをお粗末に三振してしまったんですけどね( ;∀;)
「なんで分からないのかな」と後から思ったら,この投稿のような思考を巡らすことができた,という訳です。
これって僕の中で薄れていたメタ認知ですよね!良かった良かった。
多少緊張しても研究発表の機会は活かそう,というお話でした!

書き始めるとつい長くなります。
研究自体や授業の準備に注力しないと((+_+))
でもこうやって人の価値の認識を改めることも大切ですよね。

 


下記,追記(2019/09/19)

  • AIは建築家に対してあの能力が足りない,建築家にここが負けている,とか比較しているけど実は大して気にしていない。
  • AIは人間の建築家とは違う存在で,人とは違うデザインを志向する別の存在,別の感性を持ち一つの個性に成長し得る赤ちゃん,と感じている。
  • この意味で,建築家・人間のデザインの発散を「支援」する存在に限る,とか思っていない。両者は別の個性を持つ存在なので,対等の関係ととらえていいはず,感じている。
  • 人が主でAIが従を装っているけど,フラットな関係として,例えば,AIがデザインし,人が意味付けしてプレゼンする,という関係であってもいい,と思っている。